2012年4月26日木曜日

子どもの「性」と自己決定について


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講演要旨:子どもの「性」と自己決定について

〜子どもの権利の視点からトータルに「性」をとらえる〜

 

平成14年度・多摩市民館平和人権尊重学級

買われる子どもたち〜アジアの場合、日本の場合〜 「性」をめぐる子どもの人権について考える 第1回

2003年1月11日 多摩市民館(神奈川県川崎市)

 

平野裕二(ARC代表)

*講演要旨作成協力:多摩市民館

 

1.「性の自己決定」とは何か

 

(1)「自己決定」について

 

今日は、子どもの権利の視点から「性」というものを見つめた場合にどういうことが言えるかということをお話ししたいと思います。まず、子どもの「性の自己決定」とは何かということについてお話しなければなりません。

 

「自己決定」というのは文字どおり〈自分に関わることを自分で決めていくということ〉で、人間の尊厳を構成する重要な要素となっています。すなわち、自分の人生の主人公は誰かということであり、人間が人間として誇りを持って生きていくうえで自己決定できることは非常に重要です。そして、「性」というものが人間の生活と切り離せない以上、大人にとっても子どもにとっても「性の自己決定」が大事になってくるのです。

 

ここで注意しておかなければならないのは、自己決定によってどういう結果がもたらされたかということもさることながら、自分に関わることを自分で決めるというプロセスが大事だということです。これは性の問題だけに限られません。ある子どもが何かを自分で決めたとして、大人がその結果だけを見て評価してはいけない。結果だけを見て、「いい自己決定をした」とか、大人にとって望ましくない選択だった場合に「それは本当の自己決定ではない」などと、軽々しく言ってはいけないということです。子どもが何かを決めるときに、どういう情報を手に入れ、それをどのように消化したうえで決定に至ったのか、そういうことも含めてプロセス全体を見ながら考えなければなりません。

 

「自己決定」というのはいろいろなとらえられ方をされています。「他人のことを考えずに自分のことは自分で決めてしまうこと」であるととらえる人もいれば、「自己決定は子どもと大人の関係を切断してしまう」と主張する人もいます。また、「自分で決めたのだから自分ですべて責任をとらなくてはならない」として、自己決定と全面的自己責任を不可分のものとして考えている人もいます。けれども、私は必ずしもそのようにはとらえていません。

 

たとえば大人との関係が切断されるかどうかということですが、それは、大人がその子どもとどういうふうに関わろうとしているのかによって違ってきます。「自分で決めたんだからあとは勝手にやりなさい」と突き放す大人もいれば、子どもの自己決定を尊重しながら引き続き関わりを持とうとする大人もいる。そもそも、「自己決定」というのは誰かとの関係がなければ持ち出されない概念なんです。ある人がやろうとすることに対し、他の誰かが「これはしてはいけない」あるいは「これをしなさい」というふうに介入をしてくるとき、初めて自己決定権を主張する必要性が出てくる。そういう介入がなければわざわざ自己決定権を持ち出す必要はありません。つまり、「自己決定」とは人間関係を前提として生じてくる考え� ��だということです。したがって、子どもの自己決定がどう受けとめられるかということも、その子どもとまわりの大人との人間関係の中で決まってきます。

 

自己決定と自己責任の問題についても、自己決定をするならすべて自分で決め、その結果もすべて自分の責任として引き受けなければならないというわけではありません。子どもが自己決定をする過程で、大人がさまざまな情報や助言を提供することは当然求められます。また、自分の選択が間違っていたと子どもが考えるようになれば、やり直しの機会も保障されるべきでしょう。子どもが自己決定したからといって大人がすべて責任を放棄してよいというのは、あまりにも一面的な考え方だろうと思います。

 

今回の連続講座ではグローバル化の問題についても取り上げられることになっているようなので、「グローバル化と自己決定」の関係についても少しお話ししておきましょう。端的に言うと、いま進められているグローバル化というのは〈人々から決定する力を奪っていくプロセス〉だと言えます。大国や多国籍企業など世界の市場を支配している人たちが世界を少しでも思いどおりにできるように、国家から、そして地域の人々からさまざまな物事を決める力・権限を奪っていくプロセスと考えてよいと思います。

 

たとえば、IMF(国際通貨基金)をはじめとする国際金融機関が発展途上国に融資するときにいろいろな条件(コンディショナリティ)をつけるために、保健・教育といったサービスの予算カットを余儀なくされてきた国は少なくありません。食品や薬品の安全という分野でも、ある国が国民のためにより厳しい安全基準を定めようとしたら、WTO(世界貿易機関)を舞台として進められている貿易自由化の流れに反するということで、より低いところに基準を合わせなければならないということも起きています。

 


pwn3dは何の略ですか

このように、各国が、そして各コミュニテイが自分自身で何かを決めていく力というのが世界的に奪われつつあるのです。つまり「グローバル化」というのは、国やコミュニテイから決定権限を奪い、ひいては、自分の生活や人生に関わることを自分で決める力を人々から奪っていく過程として理解できます。それが人々の、そして子どもたちの生活に具体的にどのような影響を与えているのかについては、今後の講座の中でお話を聴けるでしょう。

 

(2)性的同意年齢

 

子どもの「性の自己決定」といった場合にもうひとつ考えておかなければならないのは、子どもにそのような自己決定をする力が備わっているかどうか、それぞれの年齢や発達段階に応じてきちんと考えなければならないということです。

 

まず、「子ども」というのは一般に18歳未満の人ということになっていますが、子どもにも年齢や発達段階によってさまざまな違いがあるということを押さえておかなければなりません。おおざっぱに言えば、子どもはinfancy(乳児期)early childhood(幼児期)childhood(児童期)adolescence(思春期)という4つの段階を追って成長していくと理解されています。そしてその段階によって子どもの能力も発達していき、それにともなって子どもが自己決定できる余地も拡大していくというわけです。子どもの権利条約でも、子どもの「発達しつつある能力」にしたがって権利保障のあり方も変わっていかなければならないという考え方が打ち出されています(第5条・第14条2項など)

 

次に、性的行為にはさまざまな危険性がともないます。たとえば、避妊のことをよく知らなかったり、あるいは避妊を実践する力が充分でなかったりすれば、望まない妊娠や性感染症につながる可能性がある。また、性的行為の結果、精神的に傷を負ってしまったり、大人につけこまれて性的な虐待を受けてしまったりすることもあります。そのため、性的行為に携わるときには、性的行為とはどういうことなのか、そこにはどういう危険性がともなうのかといった性的行為の性質を理解し、そういう危険性に対処するための力、なるべく自分を傷つけずに性的行為に携われるだけの力が身につけられていなければならないわけです。

 

そのような力が子どもに備わっていると法的に推定される年齢を、「性的同意年齢」または単に「同意年齢」と言います。もちろん、そういう力が身についているかどうかは子どもによって個人差があるので、一律に年齢を定めることの問題もあるわけですが、性的虐待から保護する必要性などを考えて、いずれかの年齢ではっきり線を引いておくというのが世界的流れです。その年齢に達していない子どもと性的関係を持った場合、子どもの同意があったか否かに関わらず、強姦や強制わいせつと見なされます。

 

日本の場合、性的同意年齢は「13歳」です。刑法でそう定められています。世界的には圧倒的に「16歳」が多く、それに「14歳」、「15歳」が続いていますので、13歳という日本の年齢設定は国際的水準に照らせばやや低いとも言えるでしょう。明治時代に刑法が作成されたとき、外国から来ていた学者の助言等を受けてさしたる根拠もなく定めたという経緯がありますので、このような年齢設定がはたして適切かどうか、見直す必要はあると思います。

 

(3)性的主体としての子ども

 

そして、忘れてはいけないのは、性的同意年齢に達した子どもは基本的に「性的主体」として認められるということです。子どもの性をめぐる議論では、ややもすると「子どもというのはセックスなどしてはいけない。子どもがセックスするのは望ましいことではない」という考え方が暗に前提とされがちです。思春期の子どもが性的な存在であること自体を否定する傾向もあります。これを私は「脱・性化desexualization)」と呼んでいます。

 

たとえば、自分が望まない性的接触に対して「ノー」と言う権利がしばしば強調されます。もちろん、それは非常に重要な権利です。けれども、思春期の子どもが性的主体であることを考えたとき、「ノー」と言う権利だけを強調するのではたして充分でしょうか。自分がいいと思ったら「イエス」と言ってもいいということも伝えなければいけないのではないでしょうか。また、誰かと性的な関係を持ちたいと思ったときに適切な形でイエスかノーかを尋ねるスキルというのも、子どもたちは身につけていく必要があります。これは、子どもを被害者にも加害者にもしないために必要なことです。

 

思春期の子どもが性的主体であるということは、子どもの権利条約でも、はっきりとした形では書かれていませんけれども認められています。というのは、子どもの権利条約第34条では子どもを「不法な性的行為」や「搾取的」な使用から保護しなければならないと定められているからです。逆に言えば、搾取にあたらない合法的な性的行為に子どもが従事する可能性は認められるということです。第34条の起草過程ではさまざまな議論がありましたが、子どもが関わるすべての性的行為が悪いわけではないと意見が出て、「不法な」とか「搾取的」という言葉が挿入されたという経緯があります。

 


前かがみの意味は何ですか?

そして、思春期の子どもは実際に性的主体として活動しているのです。日本の平均初交年齢はだいたい19歳ぐらいで、これは世界的にも遅いほうなのですが、それでも高校生の4人に1人、中学生の3〜4%がセックスを経験しているという数字が出ています。これは全国調査の数字ですので、東京だけを見るともう少し高い数字になります。子どもの性の問題は、このような現実を踏まえたうえで考えていかなければなりません。

 

2.性の自己決定権を侵害する性的虐待・性的搾取

 

(1)性的虐待・性的搾取とは何か

 

子どもの性的自己決定を侵害する行為の最たるものとして、性的虐待・性的搾取があります。その定義ですが、外国で提唱されている定義等も参照して、私は次のように理解しています。

 

「性的に成熟した者が、その力を濫用してabuse)、相手の真正な同意を得ずに行なう性的行為(身体的接触の有無は問わない)、またはそのような性的行為の仲介・許可・黙認」

 

ここで「性的に成熟した者」としたのは、大人に限らず、18歳に達していない子どもでも加害者になりうるためです。

 

また、よく指摘されることですが、「虐待」を英語でabuseと言うのはab+use、すなわち誤用・濫用という意味がこめられています。そこで、ここでは身体的・精神的暴力を含む〈力の濫用〉を要件としました。大人であるというだけで子どもに対して力を行使することができますし、男性と女性、教師と子どものような力関係も考えなければいけません。今回の連続講座のテーマである商業的性的搾取という点では、お金の力の濫用も問題になってくるでしょう。

 

「真正な同意」というのは、形式的な同意ではいけないということです。暴力や脅迫で無理やり「ウン」と言わせることは論外ですし、相手の子どもが性的同意年齢に達していない場合も、そもそもその子どもには同意能力がないと見なされるわけですから、真正な同意にはなりえません。

 

また、教師や保護者のように、子どもにとって特別な存在である、子どもに対して何らかの権限を持っている、子どもに信頼される立場にある、そういう立場(優越的地位)を利用した場合にも真正な同意を得たとは見なされません。たとえばカナダの例を挙げますと、性的同意年齢は14歳なのですが、教師や親など子どもに対して優越的地位にある大人の場合、その相手が18歳未満であれば性的行為を持ってはいけないとされています。また、子どもが虐待を受けたりホームレスになったりして不安定な状態にあるとき、それに乗じて性的関係を持ったときは、たとえその子どもが性的同意年齢に達していても犯罪と見なす国もあります。フイリピンやドイツがそうです(以上の点についてさらに� ��しくは、拙稿「世界の一〇代と性的自己決定」季刊セクシュアリティ1号・2001年1月参照)

 

日本では、こうした点に関する法律の規定は非常にあいまいです。たとえば、教員や雇用者などがその監督下にある18歳未満の子どもと性的関係を持ってはいけないというはっきりした規定はありません。もちろん、倫理的には懲戒処分などに問われることはあります。また、都道府県レベルで定められている青少年健全育成条例には「淫行」規定のあるものが多く、それによって処罰されることもあります。しかし、国レベルの法律で明確な基準を打ち出すことが必要でしょう。

 

最後に、子どもの性的虐待に関して身体的接触の有無は問わないというのが国際的には一般的なので、その点についても明示しておきました。また、このような性的虐待を仲介・許可・黙認することも性的虐待と見なしてよいでしょう。

 

以上の理解を踏まえて日本の法律の定義を検討してみると、児童虐待防止法第2条は「性的虐待」を次のように定義しています。すなわち、保護者等がその監護する児童に「わいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること」です。ここでは、子どもがどのような被害を受けるかということよりも、社会的に望ましくないという判断基準である「わいせつ」に当たるかどうかが問題にされており、子どもの権利という観点からは疑問が残ります。

 

児童買春・児童ポルノ処罰法ではもう少し具体的な表現が用いられており、「児童買春」が次のように定義されています(第2条)。すなわち、児童本人、周旋者または児童の保護者に対して「対償を供与し、又はその供与の約束をして、当該児童に対し、性交等……をすること」です。「性交等」というのは、「@性交若しくは性交類似行為をすること、A自己の性的好奇心を満たす目的で児童の性器等(性器、肛門又は乳首をいう)を触り、若しくは児童に自己の性器等を触らせること」と定義されています。この定義にも、基本的には身体的接触を伴う行為しか処罰対象になっていないという問題点があります。

 

以上のように、子どもの性的虐待・性的搾取に関わる日本の法律の規定にはさまざまな問題があります。関連の法律を総合的に見直していく中で、規定の整備を図っていくことが必要でしょう。

 

(2)性的虐待・性的虐待をもたらす諸要因

 

次に性的虐待・性的虐待をもたらす諸要因についてごく簡単にお話をしておきます。これにはまず、加害者はなぜそんなことをするのかという加害者側の要因があります。次に被害者側に視点を移してみると、どのような立場・状況に置かれた場合に被害にあいやすいのかという問題が出てきます。

 


1ポンドは、キロに何が変換されます。

この点、加害者がなぜ性的虐待・性的搾取をするのかという点についての調査研究は、国際的に見てもそれほど進んでいません。日本では、いくつかジャーナリスティックな本は出ていますけれども、とくに不充分だと言えるかもしれません。他方で、たとえば女子高生がなぜ援助交際をするのかといった点については、学問的な研究はそれほどではないにせよ、マスメディアでは熱心に追求されています。買う側(需要側)の実態についての調査研究が少ないので今後きちんと調べていかなければならないということは、横浜会議(第2回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議)でも指摘されました(拙稿「横浜会議6つのテーマ」参照)

 

加害者側の要因としてはいろいろ考えられますが、第1に、男性中心・家父長制の社会を背景として男性が圧倒的に力やお金を持っているという構造的な問題があります。また、男性のコミュニケーション能力や自尊心が充分に発達していないため、性的行為をしようとすると暴力的になったり、お金ですべてを済ませようとしたりするという指摘もあります。

 

メディアの影響もよく取り沙汰されますし、それはそれできちんと検討しなければいけません。ただ、メディアの影響を過大評価することで、そのほかの要因についてきちんと検討する機会が失われてしまうという側面もあります。どのようなメディアが、どのような場合に、どのような人に対して、どのような影響を与えるのか、ていねいに検証していかなければいけません。ややもすればメディア規制の話が出てくるのですが、表現の自由も重要な人権のひとつであり、そういう議論に安易に与するのは避ける必要があります。

 

また、これはどのような立場・状況に置かれたときに被害にあいやすいのかということとも関係しますが、物質主義・消費主義の問題もしばしば指摘されています。お金や物が唯一の判断基準になってしまっていることが、とりわけ商業的性的搾取と密接に関連しているのではないかということです。また、今後の講座の中で発展途上国の状況についてもお話があることと思いますが、発展途上国を貧しいままに留めておく世界構造によって子どもたちが「買われる」立場に押しこめられているという側面があります。以上のようなさまざまな問題について考えていくことが必要です。

 

3.子どものリプロダクティブヘルス/ライツ

 

子どもを性的搾取・性的虐待から保護し、効果的な性的自己決定を支えていくためには、子どもたちにさまざまな情報、教育、サービスを保障していかなければなりません。この点と関わって非常に重要な考え方として、「リプロダクティブヘルス/ライツ」というものがあります。「リプロダクティブ」というのは「再生産」とか「生殖」という意味ですが、もっと幅広く、「性と生殖に関する健康/権利」として理解されています。

 

これには、主に次の5つの要素があります(佐藤都喜子「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ――『性的自己決定権へ向けて』」田中由美子・大沢真里・伊藤るり編著『開発とジェンダー:エンパワーメントの国際協力』国際協力出版会・2002年など参照)

@権利としての健康

たまたま健康であるとか、個人の責任で健康を維持するということではなく、権利として、すなわち政府が責任をもって市民の健康を保障するための取り組みを行なわなければならないということです。

A男女の平等

先ほど申し上げたように、男女の力関係の差が性的虐待・性的搾取につながっているという側面が強くあります。そういう点では、とくに女性のエンパワーメントを通じて男女平等を進めていく必要がありますし、男性の役割や責任も問い直されなければいけません。また、男性が抱えているニーズに対応していくことも必要です。

B暴力(性暴力)からの解放

性暴力もリプロダクティブヘルスを大きく損なうものであり、リプロダクティブヘルス/ライツを保障する取り組みのなかに位置づけて対応していく必要があります。

Cライフサイクルを通した健康

「生殖」という響きから、妊娠可能な年齢の女性、あるいは結婚している女性だけが念頭に置かれがちですが、そうではなく、生まれてから死ぬまでのサイクル全体を通じてリプロダクティブヘルス/.ライツが追求されなければならないということです。性というのは人間に一生関わり続ける問題ですから、これは当然です。

D選択と自己決定

誰と性的関係を持つか・持たないか、子どもを産むか・産まないかという点も含め、充分な情報を得たうえでみずから選択し、みずから決める権利です。「リプロダクティブヘルス/ライツ」という考え方の鍵となる概念であり、今日の話の主題とも大きく関わっています。

 

こうした考え方は、1994年にエジプトのカイロで開かれた「国連人口開発会議」の行動計画で国際的に承認されるに至りました。その行動計画では、大人だけではなく、思春期の子どものリプロダクティブヘルス/ライツについても触れられています。学校その他の機会を通じてきちんと性教育を提供すること、子どもが性のことで悩みがあった場合に安心して相談できる場を用意すること、避妊手段が手軽に入手できるようにすることなどが求められています。また、望まない妊娠をした場合に中絶を認めるかどうかといった点も世界的に激しい議論になっていますが、国連・子どもの権利条約に定められているとおり、子どもの最善の利益の原則にしたがって判断をしていく必要があります。

 

4.子どもの「性」をめぐるさまざまなアプローチ


 

最後に、子どもの「性」をめぐる日本の対応について、4つの視点から考えてみましょう。

 

まずは(1)基本的理念に関わる問題があります。この点について、子どもの性的虐待・性的搾取の問題に取り組んでいる「エクパットジャパン関西」というNGOが、2つのモデルを作成しています。ひとつは、「子どもへの権力乱用と人権侵害」を問題にする見方を土台とした「人権モデル」。ここでは、子どもがどういう被害を受けたかが主に問題にされます。もうひとつは、「子どもとの不道徳な性的関係」を問題にする見方を土台とした「道徳モデル」です。ここでは、子どもの権利が侵害されたかどうかということより、「健全な」性道徳観から見て許されるかどうかという点に焦点が当てられます。

 

日本の場合、基本的には「道徳モデル」が支配的であると言ってよいでしょう。「不純異性交遊」という言葉がいまだに用いられているように、青少年が不道徳な行為にたずさわらないように「健全育成」をしなければならない、そのために「有害」な環境から隔離しなければならないという考え方がまだまだ中心になっています。都道府県の青少年保護条例で規制されている「淫行」も、子どもに性的被害が及んだかどうかよりも、社会的に見て「みだらな行為」であったかどうかが判断基準とされます。援助交際にしても、子どもは被害者であるという建前とは裏腹に、子どものほうが「性非行」とか「性的逸脱」を行なったと見なされることが少なくありません。こうした見方が、最近の「出会い系サイト」規制問題でも言わ� ��ているように、子どもの側も処罰しなければならないという発想につながっていきます。

 

このように、「人権モデル」に立つか「道徳モデル」に立つかによって、それ以外のさまざまな分野でも異なる対応が導き出されることになります。(2)施策のあり方という点でも、大きく分けて「総合的対応」と「縦割り的・対症療法的対応」がありますが、日本では基本的に後者の対応が中心です。本来であれば、児童買春・児童ポルノ法などの法律をバラバラに作っていくのではなく、広く「子どもに対する性暴力」という観点から法律の整備が図られるべきですが、そういう発想はまだまだ一般的ではありません。関連の政策も各省庁がバラバラに進めています。

 

このように対症療法的対応ばかり行なわれる要因のひとつは、センセーショナルで目に見えやすい問題に関心が集中し、それに対して「とにかく何かしなければならない」という場当たり的な対応がとられがちであることです。センセーショナルな問題に関心が集中しがちなのは、必ずしも日本だけの傾向ではありません。たとえば商業的性的搾取の問題にしても、「豊かな国の大人が貧しい国に出かけていって幼い子どもを性的に虐待する」というイメージが根強くあります。これはこれで非常に重要な問題ですが、数の点から言うと、同じ国の思春期の少女を相手にした買春が圧倒的に多いという事実にも目を向けなければなりません。児童労働、子どもと武力紛争の問題についても同様の注意が必要です。

 

(3)情報・教育の面でも、「エンパワーメント的対応」をとるか、「無菌培養的対応」をとるかというアプローチの違いがあります。たとえば、性の自己決定が行なえるようにリプロダクティブヘルス教育を重視するのか、とにかく大人になって結婚するまでセックスするなという禁欲abstinence)教育を推し進めるのかということです。アメリカでは後者が中心になりつつあり、日本でもそういう動きが目立つようになってきました。また、子どもが「有害情報」に触れないようにそういう情報を規制するのか、さまざまな情報に批判的に接していくためのメディア・リテラシー教育を推進するのかという点にも、このようなアプローチの違いが反映されています。

 

(4)被害者への対応をめぐっては、3つのアプローチを挙げることができるでしょう。ひとつは、子どものレジリエンシー(回復力)を重視し、子どもが自分の経験を消化して被害から回復していくのを支援する「エンパワーメント的対応」です。被害を受けた子どもが「回復不可能な傷を負った」などと決めつけず、自分の被害をどうとらえるかということも含めて子ども自身が立ち直っていくことが重視されます。また、子どもには自分の経験をもとにして社会を変えていく力もあるのだととらえます。

 

次に「保護主義的対応」を挙げることができます。子どもを被害者としてとらえる点では変わりませんが、どのように「保護」するかはあくまで大人が中心になって決定します。子どもの感情や意見を無視した決めつけになったり、「子どものため」ということで、本人の意思に関わらず施設や少年院に入れたりということが起こりがちです。日本ではこれが中心と言ってよいでしょう。

 

3番目に「懲罰的対応」があります。日本では保護主義的対応が中心とはいえ、ややもすると、「援助交際に関わる子どもも悪いのだから処罰しよう」という発想につながりがちです。出会い系サイトに書きこんだ子どもを処罰しようという動きは、まさに「懲罰的対応」に向かう流れを象徴するものでしょう。その流れを逆転させ、「エンパワーメント的対応」を進めていくための取り組みが必要です。

 



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